SHIINBLOG

今日だけは、僕のもの

映画とミスチル好き。夢は女子大生になること

おっぱいがあぁぁだぃぃすきぃい

 

なんか、ブログらしいことしか書いてないからふざけたことも書いてみる。というか本来俺はそんなことばっか書いてる人間。

 

タイトルからして、ふざけてるでしょ?

まるで芸大生が、個性出すために髪の毛緑にする感じと同じぐらい醸し出してるでしょ、ふざけてる雰囲気が

 

すべってるとか言わないで。

 

巨乳の人って、まぁ、私巨乳ですよーって人もいれば、そんなことないですよーみたいな顔してる子いるじゃないですか

 

どちらにせよ、2人とも、ニット着てますよね

 

いや、ニットおっぱいってほんとエロい。

いや俺が好きなのは、夏のTシャツおっぱいなんだけど、やっぱニットおっぱいはほんとにエロい。

 

この暑い時期になると、巨乳の女友達も流石にTシャツとかなのかなーと思ったら、驚きびっくり半袖ニット

 

俺の中のニットのイメージ、冬の服っていう、そういうニット神話が崩壊して、夏もあんなエロエロな服あるのかよ!と、もう興奮しまくりでした。

 

セーターおっぱいはなんともだけど、ニットおっぱいって素敵。

 

でも、おっぱいって人それぞれで、見た目は巨乳でも、触ってみたら、違う 違う そうじゃ そうじゃないっておっぱいありますよね。

そのくせ貧乳おっぱいなのに吸い込まれそうに柔らかくて、それを気にしながりながら、目を細めって唇ぎゅっとしてる貧乳女子はこれまた最高で…!

 

いかん!いかん!

 

脂肪の量ではなくて、質

それこそがいいおっぱい

 

こうやっておっぱいのこと書いてると、彼女が欲しくなる。いやそれとも、おっぱいが欲しいのか、男ってのは生まれたときから死ぬときまでおっぱいを愛し続ける。

 

揉めないおっぱいは贅肉。

 

 

アニメ 打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?レビュー

 

観てきました。

とても残念な作品に仕上がっております。

もうね、ドラマが良すぎたという点もあります。

 

もしも、1週間前に、ドラマを見なければ

 

自分がもしも玉を使えたら、その願いを叶えますね。

 

自分は作品とか批判することはあまりないのですが、というか微妙なら触れない人間なのですが、さすがに少し愚痴ります。 

ということで、ネタバレもありなので、眠たい目をこすりながら書いていきます。

 

まず、ダメな点

 

キャスト陣に関して

 

これは、本当、運が悪かった。菅田将暉若手俳優なら間違いなくNo.1クラスの実力はあると思うし、「銀魂」の新八なんて、素晴らしかった。「何者」でも、こいつみたいな大学生いるわーって思うぐらい、役作りができていて、個人的に努力型役者として、素晴らしい力を持っていると思う。

ただ、声優初挑戦だし、そんななんでも、上手くいくわけがない、もう、そこは大目に見るべき。

広瀬すずに関しては、この映画で唯一の救いというか、奥菜恵が演じるなずなは100点満点で、そんな彼女に、ほんの少しでもかじりついただけ、良かったと思う。特にビッチの血が流れてるの辺りのセリフは、奥菜恵版なずなでは、感じることのない、新たなエロなずなを感じることができた。←これは悪い点でもある。

 

で、実はこのキャストにおいての1番の問題点は、メインキャラクターや脇に有名声優を起用したこと、宮野真守梶裕貴櫻井孝宏、ここまで、有名な人をチョイスしちゃうと、菅田将暉ファン、広瀬すずファン、そして、声優ファンすら釣ってしまおうという考えが丸見えである。

結果として、声優ファンからも怒りを買うし、豪華声優陣との差によって生まれた、主演2人の拙さが、(特に菅田将暉)ファンを傷つけることになる。

もちろん、菅田将暉がもっと頑張ればいいという考えもあるかもしれないけど、初挑戦声優が主演でしかも周りは豪華声優陣は相手役、宮野真守なんてものは、ちょっと同情する。

 

脚本に関して

 

脚本に関しては、改変点が多々ある。元の原作が1時間も満たない作品を1時間半の作品にするためにはオリジナル展開もやむなしというところだが、いかんせ、もう原作の良さなんてもんは、ほとんど残ってない。

 

脚本家の大根仁は、原作に関しては、愛を持ってると思う。なんせ自分のドラマ「モテキ」内で、「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」の聖地巡礼話を描くぐらいだ。これは、本来の原作にはないエピソードだし(旅行に行くエピソードはあるが、目的が違う)なずなの真似をする、満島ひかりのクオリティの高さは1週間前の原作を見て、再現度の高さに感動した。(今思えば、広瀬すずではなく、満島ひかりに演じてもらった方が良かったに違いない)

 

原作を再現するのは、無理だから、越えようと思ったのか?

とりあえず、微妙だと思う改変点。

・設定が小学生から中学生に、結果として、打ち上げ花火を横から見ると、平べったいのか?丸いのか?という疑問を持つことが少し恥ずかしい。

・なずなの小学生だからこその、エロさと切なさがなくなる。そして、水泳部にすることで、プールのシーン、スク水登場、これもダメ、パンツってのは見えないからエロいのに見えたらダメなのと同じ。

・原作では、2人のかけおちと残された少年たちが花火を見に行くくだりが同時進行で描かれても交わることがない。そのため、少年たちのスタンドバイミーチックな感じがあったのに、交わることで、失われる。というか、目的なんか途中から変わってる。

・なずなと典道の、クライマックスシーン、が大幅に変更。←原作ドラマ見てない人のために伏せます。

・そのため、クライマックスに流れる。あの歌も、ちっとも響いてこない。

 

などなど、他にもあるだろうけど、もはや、記憶から殆ど抜け落ちてるため、これぐらいにしときましょう。

なずなが歌うのも正直いらないけど、大人の事情です。

 

演出に関して

個人的にシャフトの演出が嫌いというわけではないです。まどマギとか物凄く興奮したし、大好きなアニメの1つです。

ただ、この作品に関しては相性が悪かったと思います。製作陣の原作を越えようとする姿勢はなんとなく伝わりました。再現するのではない、感じが、しかしまぁ、それなら、もっとオリジナリティを出すべきです。

時をかける少女」のアニメ版がいい例だと思います。タイトルだけ貰って内容はガッツリオリジナルなら、まだ可能性はあったのかなと思います。

後、1回しか見てないので、なんともですが、この作品に携帯電話は登場していないと思います。そのくせ、ワンピースの新刊を求めたり、何かとちぐはぐなのです。この携帯電話を出さないことにしたのなら、もっと昭和感にこだわるべきだと思います。

むしろ、原作当時には、子どもたちが持つことない携帯電話を上手く使って作品を構成するってのもアリな気も、とにかく何もかもちぐはぐです。

今、このアニメを見るターゲット層は完全にLINE世代、ネット世代です。打ち上げ花火が横から見たら、平べったいか丸いかなんてことは、ヤフー知恵袋で知ることができます。

結果として、時代設定にも付いていくことができませんでした。

原作ドラマでは、ワンピースではなく、スラムダンク、というかワンピースも多分まだ世に出てない。他にもセーラームーンなり、観月ありさなり、Jリーグだったり時代を感じることもできるし、当時なら最新の話題でもありました。←だからこそ、携帯を出すべき

 

などなど、感じる部分です。

 

そして、1番突っ込みたいのは

 

宣伝について

 

これでもかという、「君の名は。」臭を漂わせる予告、プロデューサーも川村元気、「君の名は。」感は凄い

 

でも、観客も見終わった後に「君の名は。ぽいの期待したけど失敗だったー」なんて、金髪のギャルが言ってました。

そう、いくらなんでも、観客を馬鹿にしすぎです。金髪のギャルでも騙されません。

 

映画として、評価云々よりも、興行収入かもしれませんが、こんなことしてると、せっかく去年、質も広告も良かった「君の名は。」でつかんだファンが離れていきます。

君の名は。」は個人的にとっても好きな作品でしたし、大衆向けでもありました。でも、だいたい映画をかじってる人は「君の名は。」よりも、「この世界の片隅に」を評価しています。これが普通です。それでも、「君の名は。」日本中を恋に落とす、確かな説得力もあったことが事実です。

 

本来、恋愛モノでは無い、原作ドラマを、無理やり、改変して、恋愛モノに仕立て上げた、「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」は残念ながら、青春の夏を感じることが僕にはできませんでした。

 

原作ドラマのクライマックス、少しネタバレですので読みたく無い人はここまで。

 

 

 

 

 

 

なずなが典道に対して、「花火って、横から見たら、平べったいのかな?丸いのかな?」という問いかけを投げかけられます。

そして、「今度、会えるのは2学期だね、楽しみだね」と言い残して、典道の前から去るのです。

 

典道は物語のラストに花火が丸いのか、平べったいのかの答えを知ることになります。

 

答えは「丸いのです。」

 

 

原作では描かれていませんが、きっと、典道はこれを伝えるために、夏休みの終わった、学校に意気揚々と足を運ぶでしょう。

 

「なずな!あの答えはさ!」

 

2学期、教室からなずなはいなくなっています。

そう、典道は答えを知っても、教えることができない。その切なさと共に、これが恋だったんだと知ることになる。

 

「次会えるのいつかな?」ではない

 

多分、ずっと会うことはないです。あの2人はもう。

 

だからこそ

 

「今度、会えるの2学期だね、楽しみだね」

 

という言葉をなずなは残すのです。

 

「打ち上げ花火、横から見るか?下から見るか?」という作品はそういうお話です。

 

せっかくの休日、映画を見に行くなら、別の作品をお勧めします。

なんなら、TSUTAYAで原作ドラマを借りて家でゆっくり見る夏の終わりを感じるのも良いかもしれません。

 

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koukougege.hatenablog.com

 

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?〜エロさと切なさ〜

「花火ってさ横から見たら、平べったいと思う?丸いと思う?」

なんて、疑問を持ったこと、あるだろうか?
僕はある。多分、小学校の頃に

きっと、誰もが一度ぐらいは、そんな疑問を持ったことがあるだろう。

他にも、星が光ってる理由や、雷の音と光のズレや、さよならの意味や、成長と共にいろんな疑問と答えを僕らは知ることになる。

もし、今の僕が、この疑問を持ったとき
親指1つで、この問題の解答を得ることができる。

今から、24年前
小学生たちは、こんな疑問を持ったのだ。
「花火ってさ横から見たら、平べったいと思う?丸いと思う?」

少年たちは冒険に出る。
親指検索では、わかることのない、切なさと笑顔の意味を知る。

ドラマ「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?

日本の歴史上、最高のナイトプールシーンだろうし、むしろインスタでバカみたいに写真をあげてるおっぱいエロエロ女子たちに、これが本当のエロさなのだと教えたい。

そう、エロと切ないは同義語なのだ。
この作品、奥菜恵が演じる、ヒロイン、なずなから漂う、エロさと切なさ
これは小学生という、精神年齢の低い男子と精神的にも身体的にも、少し早く大人になる女子という、相関図があってこそなりたつ。

女の子はいつだって、男の一歩前を歩いている。だからこそ、女性は男性にリードされたいと思う生き物なのだ。

ただ、小学生の頃にそんな、ジェントルマン男子なんてものは、いるかもしれないけど、基本的にいないもので、むしろ、バカでアホなのが小学生男子のいいところなのだ。

だからこそ、花火を横から見ると、どんな形なのか?という答えを得ようとする。

そのとき、好きな女の子の笑顔の答えよりも、もっとつまらなく、大切な答えを知りたがる。

もう、僕には訪れることのない、あの夏。
どうして、好きだったあの子と花火をしなかったのか?見に行くこともなかったのか?
2回目なんてない夏を僕は待ってたり、待ってなかったり。

ということで、やっとこさ、見れた。
岩井俊二、最高傑作というか、僕は岩井俊二を通ってこなかった人間が初めて触れたのが、この作品。
モテキというドラマで丸々一話使って、このドラマの聖地巡礼の話があったぐらい、多くの作り手にも影響を与えてるであろう、この作品。

作品の舞台設定から、決して上手くない奥菜恵のお芝居は透明感抜群で、冒険のできなくなった僕にはあまりにも眩しすぎた。
「Forever Friends」が流れ出した瞬間からラストまで、鳥肌が止まらない

本当に素晴らしい作品

もう何年も前からこの作品の存在を知りながら見てなかった自分が本当に勿体無いなぁと

今度、アニメ映画として公開されるこの作品が、ドラマ版を超えることはできないだろう。

小学生という設定だからこそ、なずなから漂う切なさとエロさを感じることができるのだから。

しかし、脚本、大根仁さんの本作への愛は本物であろうし、アニメはアニメで違った答えを知ることができるだろう。

そう信じて、映画館へと冒険してみたい。

夏はのんびり水割りで

最近、こっちのブログはすっかり停滞気味で、ほぼ、一ヶ月ぶりの更新。

 

この一ヶ月、少し忙しかったからと言い訳。本当に時間が経つのは早くて早くて、この一ヶ月で誰かが、プロポーズしたり、恋人が別れたり、家族に見守られながら、誰かが死んだり、どこかで誰かの人生は僕とは同じ時間で異なるペースで進んでいることだろう。

暑い夏に、ぴったりなお酒

 

鍛高譚

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という紫蘇焼酎に最近ハマりまして、個人的には、芋が一番好きだけど、なにせ、癖の強いお酒ですから、気分的に優れないときは飲まないけど、この紫蘇焼酎はさっぱりとした味と、紫蘇の匂い、この暑い夏にピッタリなお酒だと、勝手に思っています。

ちなみに、このブログも、鍛高譚の水割りを飲みながら、書いてます。

ぜひとも、このお酒を飲みながら、お盆休みの夕暮れ時を楽しんでみるのも良いんじゃないでしょうか。

何か、色々書きたいこともあったけれど、その気持ちを表せるほど、今自分の脳味噌は回らないみたいで、撮りためた、ドキュメント番組を見ながら、紫蘇の匂いに包まれています。

 

遊郭、飛田新地で女は働く。

生きていく中で、忘れられない出来事が幾度かあるはずだ。小学生のとき、TVから延々と流れる、ビルに飛行機が突っ込んだ瞬間を僕はまだ覚えている。

初めて、彼女のスカートをたくし上げた日のことも、平和なふりをしていた我が家が崩壊したあの日、父と幼稚園年長の僕だけになった部屋で、あの人が涙を流したことも忘れずに覚えている。

 

そんな、僕の忘れられない瞬間、大阪、西成区にある、ディープスポット、飛田新地に初めて訪れた日のことも、忘れられない。

「エレクトリックパレードだから」隣のツレは、飛田新地のことをそう評した。イマイチ理解できずにいた僕は、新今宮駅を降りてすぐ、あの、どうしようもない雰囲気と、いつ倒れてもおかしくないさびれた、通天閣がなつかしく思える、自転車に乗っているおじさんはどことなくみんな必死にやつれて生きている。

「感動したら謝れよ」ツレはどんどんハードルを上げていく、そんなにいいものか、信じることができなかった。

 

……

 

 

 

……

 

 

 

 

 

……

 

エレクトリックパレードやんかぁぁぁっぁぁぁぁっ

 

その光景は今も忘れることできない。光り輝くネオン、欲望に満ちた男たち、狭い道もお構いなしに走る車、客寄せばばぁ、もう、オーロラを初めて見たときと、同じ、すべてが、非日常、そして、そして、おっぱいぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい

 

生きててよかった。人生の生いや性を感じる。そう僕は今、地球の上でたっている。

小さきものは皆愛しい、誰かがそんなことを言った。僕の手の中に収まり、柔らかさと湿っぽさを感じる。そう、僕は小さいおっぱいが好きだ。しかし、この、エレクトリックパレードにおいては、おっぱいはみんな、でかい、でかい

そう、おっぱいはやっぱり大きい方がいいのだ。心も糞もでかいほうがいい、そう。おっぱいも。

そんな、大きなおっぱいと、可愛らしい顔と、コスプレを身にまとった。彼女たち、そんな彼女たちが僕の顔を見て、笑っているじゃないですか、女の子に微笑んでもらったことなんていつ以来だろう。なんてことを思いつつ、僕の意識は少しずつ、性から生へと変換された。

大量の料亭とそこにいる女の子たち、僕はおっぱいよりも、彼女たちの1人1人に人生があることを感じる。なぜ、彼女たちはあの場所で働くのか、実はシングルマザーなのかもしれない、派遣の事務職の給料では満足できないのかもしれない、お金を稼いで留学費に当てたいのかもしれない。僕の妄想は膨らむばかりだ。

夜の仕事に偏見を持つ人が、世の中に少なからずいる。僕の母親は、ホステスの仕事をしていたし、人は皆生きていくには、なにかを犠牲にしても守る必要がある。あの人にとって、それは僕だったんだろう。

きっと、彼女たちにも大なり小なり、働かざる理由がある。僕が、人生で初めて告白した女の子は今、あの場所で働いているかもしれない、人生はそれぐらい何が起きるかわからないものだ。

セックスするだけ、ゴムをつけて、口に咥えて、股を開いて、たった15分、1万1千の関係。文字にすれば簡単に思える行為。僕は女性ではないし、気持ちなんてものはわからない。僕が女性なら、簡単に身体を売るのかもしれない、それは男の意見だろう。

男は精神的にも身体的にも女性の大切な部分の痛みはわからない。

わかることは、彼女たちにも人生があって、僕たちは、一時の幸せを買いに行く。需要と供給という言葉で片付けてしまうには、違う気がする。

 

こないだ、久しぶりに飛田新地に向かう最中に乗ったタクシーで運転手のおじさんは大の風俗好きだった。昨日も外国人を飛田まで運んだらしい。

「かわいそうだけど、外国人は言葉が通じないから、入れないと思う、値段とかねわかんないだろ」確かにややこしいもんなと納得した。と思ったら、飛田のばばぁたちは、巧みにボードを使い、外国人のお客さんも引き込んでいた。

どうやら、最近の風俗はグローバル化が進んでいるみたいだ。発展していくシステムの中、男と女の性事情は文明の誕生以降たいして進歩はしていない。僕ら明日も身体を求め続ける。明後日も。

劇場版「ポケットモンスター キミにきめた」レビュー

 

ポケットモンスター

縮めてポケモン

今年、20周年を迎えたこのアニメは、サザエさんドラえもん、まるちゅん、しんちゃんに並ぶ大人気アニメの1つだろう。

 

僕の人生で初めての冒険はゲームボーイの中だった。

 

僕が最初に選んだポケモン

ワニノコ!キミにきめた

誰しもが、初めてのポケモンがあり、その数だけ冒険がある。

そんなポケモンの映画の感想をさっくと書きたい。

というか、ボンジイの話がメインです。

まだ、見てないという人は見ない方がいい気もします!

 

この映画は振り返るための映画ではない、明日から冒険を出るための映画だ。

 

冒頭から、懐かしいシーンのオンパレード、これは第1話をリメイクしているため、当たり前。しかし、まぁ何よりも制作スタッフはよくわかっているのがOPの使い方だろう。ここまで、完璧なタイトルバックは久しぶり。

ちなみに、多くの大人がまずここで泣きます。いや、それぐらいOPの使い方が完璧なわけです。

そして、脚本には、一部、首藤剛志の名が。この人ミュウツーの逆襲だったり、ポケモンアニメの礎を築いた人です。

そう今回の作品は初期ポケモン映画のメッセージ性が多く散りばめられています。

 

劇中、サトシが夢を見るシーンがありますが、あのシーンはこれポケモン映画だっけと?感じつつ、いや、ポケモン映画って本当はこれぐらい、シビアなシーンあったよなと……思うわけです。

ミュウツーの逆襲、この映画のテーマ性は、そこらへんの実写映画よりも、メッセージ性ありましたよね。

それと同じです。

 

実はこの映画、バタフリーなりヒトカゲなり、感動シーンもオンパレードですし、まさかのあのポケモンも登場するわけです!そしてホウオウも……

 

少しずつ、大人になろうと成長していく中、ゲームではゲットできてたホウオウですが、あのとき、サトシと一緒に見たホウオウとは、いつアニメで再会できるのだろうか、みんなそう思い続けていたと思います。僕もその1人でした。

そんなホウオウが20周年記念の映画に出てくる時点でスタッフはよく分かってるわけですが、今回はまるでそんな僕らを具現化したキャラ「ボンジイ」が出てきます。

 

今回のこのブログが1番書きたかったことは、このボンジイの存在です。

ボンジイは僕らと同じ、ホウオウを追い続ける博士、いつからか僕にも髭が生えるようになりました。そんなボンジイは僕らに素晴らしいメッセージを残してくれます。

 

「とにかく、生きろ」

 

そう、今回のポケモンで1番伝えたかったことは生きろということなのです。

 

サトシたちが20年間旅を続けていたように、僕らも、大都会で孤独な旅を続けていました。

辛いこと、失敗したこと、人生はゲームのようにレポートはありません、やり直すためのリセットもできない。そう、僕らのリセットは自ら命を絶つことしかありません。

 

実際、みずから命を絶つという、子どもも、日本には何人もいますし、世の中には辛いことばかりで満ち溢れています。嫌だ嫌だ思って生きてるそんな人たちに、ボンジイは生きろというわけです。

 

そして、僕たちは、今の今まで、生きてきたのです。

 

この映画は、20年間、生きていた人たちに、ホウオウとの再会という、1つの夢を叶えさしてくれます。

そう、生きていれば、何かの夢は叶うのだ。

このメッセージは子どもには、素直に届くセリフです。

そして、大人たちには、生きててよかったろ?と問いかけてくるのです。

 

映画を見終わった僕の前に、小さな子どもと若いお母さんが手をつないで歩いていました。これから先、この子どもはこの映画のメッセージを胸に生きて、色んなことを経験することでしょう。そして、お母さんなそんな息子の姿を見ながら、生きててよかった。そう思うに違いない、親から子どもへ、1番伝えたい大切なことを映画を通して教えようとしています。

 

今回のボンジイの言葉で僕の目から涙が溢れてきました。

他にも、衝撃的展開(この衝撃的展開はポケモンの禁忌に触れる場面であり、評価はここで別れると思います。)

1番の泣き所は、多分そこではないのですが、大人にはあのボンジイのセリフが1番来るのです。そして、あのセリフ共に、子どもたちは大きくなってほしい。

 

ポケモンってなんて素敵なアニメなんだろうか、僕らが忘れていた生きるとは冒険なんだということを思い出させてくれました。

生きてたから、この映画に出会えた。

あの頃、初めて見たピカチュウと、ホウオウに再会した。

こんな素敵な夢を叶えてくれた。今回の映画は、本当にいい作品です。

 

EDは神EDです。

というかBGMの使い方も完璧です。

映画としての出来はよくできています。むずかしい部分もあるんですけど、比較的よくできていますし、何も知らずに観に行けば、ホウオウよりも、あのポケモンたちの登場でドキドキすると思います。

是非とも、劇場で見てください。

 

この映画を見終わった瞬間!バトルしようぜ!と言いたくなること間違いなしですから。

 

『選択』と『年齢』。17歳になったあの日、僕は舞台から降りた。

少し前、偶然、この動画を見た。心がドキッとした。

舞台を続けなかった選択、大学の選択、会社を辞めた選択

今日はそんな僕の選択と年齢の話。

 

 

人生は選択の連続だ。

どの、部活に入ろう

明日、何時の電車に乗ろう?

今日、どのドラマを見よう

今日はこの道を曲がってみるか……

僕らは多くの選択の中で人生を形成している。

今日、このブログを見る、見ないも選択の1つだし、見たことで、時間の無駄と後悔するかもしれないし、すごく参考になった。そういう人もいるかなと思う。僕の人生の選択、まずは17歳になったあの瞬間だ。

17歳になったあの日、僕は舞台から降りた。

我が家は決して裕福な家庭ではなく、母親、1人で僕のことを育ってくれた。そんな僕が、これから先、演劇を続けるという選択肢はあまりにも不安定な未来だった。高校生から出会った演劇の世界に魅了された。

さえなかった人生が突然輝きだした。

自分とは異なる性格を演じ、頭の中の傑作を形にして、お客さんに披露する。笑い声や涙を流す人、すべてがダイレクトに伝わる。こんなおもしろいことが世の中にあるなんて、思いもしなかった。

明日のことなんか、どうでもよかった。高校も適当に選んだ。というか、三者面談を欠席したので、僕ではなく母が選んだ。そこに演劇部があるなんて知らなかったし、興味もなかった。演劇部に入った理由は、一目惚れした女の子がそこにいたから。ただそれだけだった。

しかし、人生で一番上手くいった選択であることは間違いない。

そんな僕はすこしでも、芝居がうまくなりたかったし、まぐれで書いた脚本は多くのお客さんを笑わせた。そんな僕は人生の選択が迫っていた。

このまま、エスカレーターで大学に行くか、芸大に行くかだ。

舞台を続けたい、もうすぐ、17歳になる、高校2年生の夏。1つの選択をした。

誰かに認められたら、これから先も続けよう

演劇にも大会がある。その大会の個人演技賞を取れれば、続ける。そう決めたのだ。

そんな、大会は、僕の誕生日の日だった。

その日まで、ひたすらに台本と向かい合った。たった10分の役だった。1時間の舞台でたった10分の役。とてもむずかしい役どころで、何度も顧問にダメ出しをされた。「THE 大根役者」という気持ちいいぐらいの言葉の元、奇跡か必然か、本番1週間前の通し稽古中に僕の中でなにかが弾けた。稽古終了後に顧問とほぼ同時に「これだぁぁぁ」って抱き合った記憶がある。

そんな僕は、17歳になった。本番の日だ。人生最高の芝居は間違いなく、あの日だった。信じられない話かもしれないが、その役を演じている間、僕の魂は飛び出して、舞台上には、あの役だけが立っていた。空気すらもコントロールできた。あの10分間は観客の呼吸すら、僕が握りしめていた。17歳になったあの日、僕は舞台を降りた

審査員は僕の芝居を絶賛した。人生でこれ以上褒められたことはまだない、「高校生とは思えない落ち着いた芝居」なんていうのは、褒め言葉なのか、それとも高校生らしくない皮肉だったのか。個人演技賞にノミネートされた僕は、後は名前を呼ばれるのを待っているだけだった。

名前は最後まで呼ばれなかった。

人生で一番泣いた。理由は僕達の高校が全国大会常連の高校を抑え、最優秀に選ばれたからだ。

もし、あのとき、高校が選ばえることがなければ、個人の賞を貰えたかもしれない。でも、そんなことはもうどうでもよかった。もう一度、この舞台ができる。それは、個人の賞よりも大きなものだったに違いない。

県大会では、僕の芝居は鳴かず飛ばず、芝居は高校まで、そのかわり、最後まで全力で楽しもう。そして、僕は高校を卒業した。演劇はしない、そう選択した。

 

20歳になる少し前、舗装された道を歩くのはもうやめよう

演劇から離れた僕は、一目惚れした彼女に「演劇をやっている頃のキミが好きだった」と痛烈な別れのセリフにひどく絶望しながら、大学生活を送っていた。楽しくないわけではなかったし、それなりに楽しんで生きていた。

そんなある日、僕は、同じ高校の部員の同期の家に泊まることになる。その日は、巨大台風接近により、JR沿線が16時以降完全停止になる日だった。そんな日に限って、僕は高校の友達のお芝居を見に行った。その子は大きな病気にかかりながらも、自分の劇団の芝居を必死にサポートしていた。舞台に上がることができなくても、あんなに芝居の上手い彼女が裏方に回らざる得ない、どれほど辛かったことだろうか。そんな彼女が見に来てほしいと言われれば、台風なんか関係なかった。

結局、僕は帰りの電車に間に合わなかった。家に帰れない僕は、同期の家に泊まらせてもらうことになった。

お互い彼女の芝居(同期は前日に)を見ていたからこそ、僕らは同じことを考えていたに違いない。

その日の夜、TVドラマのEDから大好きなバンドの歌が流れたきた。

www.youtube.com

舗装された道を選んで歩いていくだけ
そんな日々だけど もうやめたいんだ
今日はそんな気がしてる

by Mr.Children 「足音」

隣の彼はこう、つぶやいた「もう一度、一緒にやろう」

僕はもう一度、舞台に立つことを選んだ。

夢見てた未来はそれほど離れちゃいない
また一歩 次の一歩 足音を踏み鳴らせ!

例えば雨雲が 目の前を覆ったって 
また日差しを探して歩き出そう

時には灯りのない 孤独な夜が来たって 
この足音を聞いてる 誰かがきっといる

 by Mr.Children 「足音」

 

さよならした人生、とにかく生きると決めた23歳

僕は阪神ファンだけど、1番好きな野球選手は元巨人の上原。

理由は彼の背番号19番に込められた思い。
絶対に合格すると思ってた大学受験を失敗し、浪人、19歳のときの悔しさと努力を忘れないという気持ちを込めて、背番号19番を選んだ。
彼は今もメジャーのマウンドで19番を背負い戦い続けてる。

上原選手も多くの選択の連続だったと思う、メジャーではなく巨人を選んだドラフト。全盛期を過ぎた後のメジャー挑戦。先発から守護神へ、こんな凄い投手でも、年齢を気にせず、挑戦し続けることを選択した。

今年、23歳になる僕は、残りカスもいいところだ。舞台とは、その一度限り、それでも、心にあった、つっかかりはなんとか昇華されたみたいだし、教師になるという選択肢も選ばず、内定先の企業にも行かず、よくもわからない会社に入った僕は、会社を辞めた。

ちっともしんどくもなく、安月給でとりあえず生きることもできたし、自分の好きな職種でもあった。でも、今やることではない、そう思って、今、僕はニートだ。色んな会社の説明会も受けたりして、これから先の未来のことを考えている。

そして、この23歳の年を忘れることはない。

まだ、なんとかなる、自分の好きなことをする。舞台をやる中で、何度か脚本を書いた。今も文章をよく書いている。これから先も書き続けたい。

人生の選択は後悔の連続かもしれない。僕は今、このブログを打ちながら、パソコンについて考えている。どうして、あのとき、Macを買うつもりだったのに、このパソコンにしたのか、選択を誤った。なんてことを思っていた。けれど、今はこの重たいノーパソにも愛着が湧いてきた。選択ミスではなかったようだ。人生はどうなるかわからない。

大学で本来2回目の舞台用で書いた脚本はまだ、未完のままだ。完成させない、その選択もあるだろう。でも、いつか完成させる。

そんな選択肢を選んで、この先の道を歩んでいきたい。未知な道を。

挑戦することが大切なんだ。自分を信じて。

koukougege.hatenablog.com

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