SHIINBLOG

今日だけは、僕のもの

映画とミスチル好きの22歳。教員免許はただの紙切れ元舞台役者、脚本、演出をやってました。趣味は映画鑑賞と親指の運動。ゆるい文章書いていきたい

『選択』と『年齢』。17歳になったあの日、僕は舞台から降りた。

少し前、偶然、この動画を見た。心がドキッとした。

舞台を続けなかった選択、大学の選択、会社を辞めた選択

今日はそんな僕の選択と年齢の話。

 

 

人生は選択の連続だ。

どの、部活に入ろう

明日、何時の電車に乗ろう?

今日、どのドラマを見よう

今日はこの道を曲がってみるか……

僕らは多くの選択の中で人生を形成している。

今日、このブログを見る、見ないも選択の1つだし、見たことで、時間の無駄と後悔するかもしれないし、すごく参考になった。そういう人もいるかなと思う。僕の人生の選択、まずは17歳になったあの瞬間だ。

17歳になったあの日、僕は舞台から降りた。

我が家は決して裕福な家庭ではなく、母親、1人で僕のことを育ってくれた。そんな僕が、これから先、演劇を続けるという選択肢はあまりにも不安定な未来だった。高校生から出会った演劇の世界に魅了された。

さえなかった人生が突然輝きだした。

自分とは異なる性格を演じ、頭の中の傑作を形にして、お客さんに披露する。笑い声や涙を流す人、すべてがダイレクトに伝わる。こんなおもしろいことが世の中にあるなんて、思いもしなかった。

明日のことなんか、どうでもよかった。高校も適当に選んだ。というか、三者面談を欠席したので、僕ではなく母が選んだ。そこに演劇部があるなんて知らなかったし、興味もなかった。演劇部に入った理由は、一目惚れした女の子がそこにいたから。ただそれだけだった。

しかし、人生で一番上手くいった選択であることは間違いない。

そんな僕はすこしでも、芝居がうまくなりたかったし、まぐれで書いた脚本は多くのお客さんを笑わせた。そんな僕は人生の選択が迫っていた。

このまま、エスカレーターで大学に行くか、芸大に行くかだ。

舞台を続けたい、もうすぐ、17歳になる、高校2年生の夏。1つの選択をした。

誰かに認められたら、これから先も続けよう

演劇にも大会がある。その大会の個人演技賞を取れれば、続ける。そう決めたのだ。

そんな、大会は、僕の誕生日の日だった。

その日まで、ひたすらに台本と向かい合った。たった10分の役だった。1時間の舞台でたった10分の役。とてもむずかしい役どころで、何度も顧問にダメ出しをされた。「THE 大根役者」という気持ちいいぐらいの言葉の元、奇跡か必然か、本番1週間前の通し稽古中に僕の中でなにかが弾けた。稽古終了後に顧問とほぼ同時に「これだぁぁぁ」って抱き合った記憶がある。

そんな僕は、17歳になった。本番の日だ。人生最高の芝居は間違いなく、あの日だった。信じられない話かもしれないが、その役を演じている間、僕の魂は飛び出して、舞台上には、あの役だけが立っていた。空気すらもコントロールできた。あの10分間は観客の呼吸すら、僕が握りしめていた。17歳になったあの日、僕は舞台を降りた

審査員は僕の芝居を絶賛した。人生でこれ以上褒められたことはまだない、「高校生とは思えない落ち着いた芝居」なんていうのは、褒め言葉なのか、それとも高校生らしくない皮肉だったのか。個人演技賞にノミネートされた僕は、後は名前を呼ばれるのを待っているだけだった。

名前は最後まで呼ばれなかった。

人生で一番泣いた。理由は僕達の高校が全国大会常連の高校を抑え、最優秀に選ばれたからだ。

もし、あのとき、高校が選ばえることがなければ、個人の賞を貰えたかもしれない。でも、そんなことはもうどうでもよかった。もう一度、この舞台ができる。それは、個人の賞よりも大きなものだったに違いない。

県大会では、僕の芝居は鳴かず飛ばず、芝居は高校まで、そのかわり、最後まで全力で楽しもう。そして、僕は高校を卒業した。演劇はしない、そう選択した。

 

20歳になる少し前、舗装された道を歩くのはもうやめよう

演劇から離れた僕は、一目惚れした彼女に「演劇をやっている頃のキミが好きだった」と痛烈な別れのセリフにひどく絶望しながら、大学生活を送っていた。楽しくないわけではなかったし、それなりに楽しんで生きていた。

そんなある日、僕は、同じ高校の部員の同期の家に泊まることになる。その日は、巨大台風接近により、JR沿線が16時以降完全停止になる日だった。そんな日に限って、僕は高校の友達のお芝居を見に行った。その子は大きな病気にかかりながらも、自分の劇団の芝居を必死にサポートしていた。舞台に上がることができなくても、あんなに芝居の上手い彼女が裏方に回らざる得ない、どれほど辛かったことだろうか。そんな彼女が見に来てほしいと言われれば、台風なんか関係なかった。

結局、僕は帰りの電車に間に合わなかった。家に帰れない僕は、同期の家に泊まらせてもらうことになった。

お互い彼女の芝居(同期は前日に)を見ていたからこそ、僕らは同じことを考えていたに違いない。

その日の夜、TVドラマのEDから大好きなバンドの歌が流れたきた。

www.youtube.com

舗装された道を選んで歩いていくだけ
そんな日々だけど もうやめたいんだ
今日はそんな気がしてる

by Mr.Children 「足音」

隣の彼はこう、つぶやいた「もう一度、一緒にやろう」

僕はもう一度、舞台に立つことを選んだ。

夢見てた未来はそれほど離れちゃいない
また一歩 次の一歩 足音を踏み鳴らせ!

例えば雨雲が 目の前を覆ったって 
また日差しを探して歩き出そう

時には灯りのない 孤独な夜が来たって 
この足音を聞いてる 誰かがきっといる

 by Mr.Children 「足音」

 

さよならした人生、とにかく生きると決めた23歳

僕は阪神ファンだけど、1番好きな野球選手は元巨人の上原。

理由は彼の背番号19番に込められた思い。
絶対に合格すると思ってた大学受験を失敗し、浪人、19歳のときの悔しさと努力を忘れないという気持ちを込めて、背番号19番を選んだ。
彼は今もメジャーのマウンドで19番を背負い戦い続けてる。

上原選手も多くの選択の連続だったと思う、メジャーではなく巨人を選んだドラフト。全盛期を過ぎた後のメジャー挑戦。先発から守護神へ、こんな凄い投手でも、年齢を気にせず、挑戦し続けることを選択した。

今年、23歳になる僕は、残りカスもいいところだ。舞台とは、その一度限り、それでも、心にあった、つっかかりはなんとか昇華されたみたいだし、教師になるという選択肢も選ばず、内定先の企業にも行かず、よくもわからない会社に入った僕は、会社を辞めた。

ちっともしんどくもなく、安月給でとりあえず生きることもできたし、自分の好きな職種でもあった。でも、今やることではない、そう思って、今、僕はニートだ。色んな会社の説明会も受けたりして、これから先の未来のことを考えている。

そして、この23歳の年を忘れることはない。

まだ、なんとかなる、自分の好きなことをする。舞台をやる中で、何度か脚本を書いた。今も文章をよく書いている。これから先も書き続けたい。

人生の選択は後悔の連続かもしれない。僕は今、このブログを打ちながら、パソコンについて考えている。どうして、あのとき、Macを買うつもりだったのに、このパソコンにしたのか、選択を誤った。なんてことを思っていた。けれど、今はこの重たいノーパソにも愛着が湧いてきた。選択ミスではなかったようだ。人生はどうなるかわからない。

大学で本来2回目の舞台用で書いた脚本はまだ、未完のままだ。完成させない、その選択もあるだろう。でも、いつか完成させる。

そんな選択肢を選んで、この先の道を歩んでいきたい。未知な道を。

挑戦することが大切なんだ。自分を信じて。

koukougege.hatenablog.com

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